新海誠作品。

初めて観たのは秒速5センチメートルだった。

 

ひとりの男の子が成人になるまでの不毛な恋愛をショートフィルムでひたすら見せられるあの映画。私が高校生の頃だった。

 

… 

 

まだ当時小説だったり漫画は読めど、アニメにはそんなに興味がなかった。今ほど服も好きでなく、何にも興味が湧かなかった。ネットの海に溺れなんとなく音楽を漁るような、まさに無趣味を具現化したような、そんな高校生だった。

 

そこにいきなり新海誠を、秒速5センチメートルを、ぶっ込まれることはさながら酷く自分の価値観を揺さぶられるような、そんな衝撃。

 

鬱エンドの美しさを、儚さを、切なさを、無理やり飲み込まされたようなそんな気がした。ただひたすらに魅了された。

 

 

そこからひたすら新海誠作品をなぞるのだけれど、彼のSF作品にはあまり興味がもてなかったし、言の葉の庭は好きだけれど何よりも秒速5センチメートルが美しすぎた。

 

そしてそこに発表された

"君の名は。"

あらすじを聞くに私の苦手なSF物のようだった。そして奇しくも使われた音楽は私が好きで仕方なかったRADWIMPSのものだった。

 

正直のところRADWIMPSが劇中歌・主題歌なのは嬉しいよりも嫌悪感があった。

今まで控えていたメディア露出を解いて、新海誠SF作品とのタッグ。RADWIMPSファンに過大評価か、RADWIMPSアンチに過小評価かどちらにもかに転ぶ予感しかしなかった。

彼らには何に縛られることなく音楽を作ってほしかった。単なる私の気持ち悪い信心だけど。

 

 

良い意味で裏切られた。そう言うしかない。

君の名は。観ました。

 

どんなクソみたいな映画でも泣ける演技派(笑)の私、映画が終わった後顔面に化粧のケの字も残っていなかった。泣きすぎて過呼吸を起こすかと思った。

 

ストーリーはもう何度も繰り返しテレビで流されているであろうが、まあ掻い摘むと都会の男の子と田舎の女の子が何かしらの理由で中身が入れ替わり惹かれ合うが入れ替わりが突然起きなくなり相手を探して三千里する…

 

1番最初に何かで大体のあらすじを聞いたときに、まあ入れ替わりものね、うん。恋愛漫画ではよくあるよね、わかる。ん?村人が滅びる?何がどうしてそうなるの?入れ替わりどうした?どんなことが起こったらそんな突然壮大なSFになるの?こわい!こわ!観たくない!

不安しかなかった。仕方ないよね、あのあらすじ掻い摘みすぎだったよ。

 

内容は若干御都合主義が否めない部分も多々あったが、SF映画だもん仕方ないよね!で片付けることにした。また主人公の男の子の声優を務めるのが"神木隆之介"くんであり、入れ替わり時の女の子側を演じる際の演技力も大変(色んな意味で)素晴らしかった。

作画もさすが新海誠作品、細かい描写が美しかった。が、秒速5センチメートルが自分の中で神格化しているのか、それには及ばなかったという印象。でも全体を通して美しかった。

またRADWIMPSが劇中歌、というのでバクマン。サカナクションのような扱いなのかと思いきや使われ方が想像と全く違った。どこかで読んだ"RADWIMPSありきの映画"というのはあながち間違いではなかった。批判の色の強い言葉だったが、私はRADWIMPSに重きを置いて作られていると思えば嫌いではなかったし、むしろ良かった。RADWIMPSが嫌いな人から見れば野田洋次郎の顔が浮かんで気持ち悪いだとか、ポエミーな歌詞が気持ち悪いだとか、そういった感想になってしまうのかもしれないけれど、私はどちらも加点要素でしかなかった。信心の勝利だ。

また、エンドは鬱エンドでもハッピーエンドでもイケるような内容ではあった。でも観客層と観客動員数を見ればあのエンドで良かったのではないかな、と思う。

とにかく、私は好きだった。完敗だ。新海誠のストーリーがもちろん良かった。が、とりあえず11/23発売のアルバムCD買います、野田さん。

 

 

蛇足ではあるが、この映画を観る直前に有名なホラーゲーム、"零"の最新シリーズをプレイ・クリアしていたわけなのだが、巫女に関する物語であったがため予備知識があり、おかげですんなりと納得できた部分も多かった。ホラーが苦手な人は"くまみこ"でもギリギリいけると思う。ぜひ読んでほしい。

 

 

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お互いの顔に悪口を書きあうシーン。

初見で私はてっきり中身が入れ替わったあとに書いたものだと思っていたのだが、三葉の髪型からみて中身が三葉のままであることに言われて気づいた。

部屋の中が夕陽でオレンジに染まっているところから見て夕暮れ時(かたわれどき)、彼女たちは制服のまま。晩ご飯も食べていなければお風呂にも入っていないのでは…。瀧くんはいいとして、三葉はそのままの顔で家族のいるリビングに戻るのだろうか。心配になった。

 

 

 最近よく高校生のころや短大生のころの夢をみる。色んな人にたくさんの人に毎日会えたのが懐かしい。社会人になって、(職場が特殊ということもあったが)たくさんの人に会う機会が少なく寂しいのだろうか。まあ今は立派なニートなのだけれども、状況は変わらない。そろそろ心が身体を追い越して都会のイケメン高校生になったりしないものだろうか。

 

 

 

 

昨夜、調子に乗ってコプコプとお酒を飲みすぎ早々に眠り明け方に気持ち悪さで目を醒ます。

健全なニートの健全な朝である。

それでも何とかベッドに入り直し、炎天下放置され氷が溶けきったアイスコーヒーのような、文字通りの悪夢のような悪夢を見た末にチャイムで飛び起きた。クロネコヤマトだった。

 

 …

 

ほんの数日前、調子に乗ってポコポコとお酒を飲みすぎた際にええいままよ!とインターネッツで財布を購入した。

5月の初め、初夏の匂いに巻かれ薄着で仕事へ通い始めた頃に失くしたVivienne Westwood(発音が大事)(ウン万円で購入)(大変お気に入りだった)に代わるものを、と探していたのだった。

 

長い付き合いの方はご存知であろう、わたくし財布を失くすのは初めてでは無い。なんなら財布だけでなくiPhoneも何度も何度も失くしてここまできている。

それでも、何度失くしても、神様に愛されているのか。何度も何度もしっかり手元に帰ってきていたのだった。

失くし手元に戻ってくる度に、もうおまえを二度と離したりしない…と誓うのだが、喉元過ぎれば熱さを忘れる。失ってから気づく尊いもの。それが目一杯の愛、ではなく反省と後悔。

 

 

しかし今回ばかりは違った。どういうわけか帰ってこない。とうとう神に見放されたのか。仕事の都合上、中身が潤っていたからか。財布が身分不相応の高級なものだったからか。とても素敵の素敵だけでできている素敵な財布だったからか。今となってはわからない。

ひとつだけ言えるのは、私が未だに熱さを喉元を過ぎさせることなく抱えているということだ。

 

 

遠回りをしすぎたが、とにかく購入した財布、それが気持ち悪さに蹲る今朝方に届いたのだった。

 

5月の初めから今まで、財布を購入するのを躊躇っていたのは再び失くすことへの恐怖、また前の財布への執念を断ち切れなかったからだ。

 

しかし、引きずっていては前に進めない。

 

いつまで経っても幸せを語り心の中に居続けるものでも、前を向けばその姿は実態では無いのである。

幸せになるには、過去への執念を、幸せ"だった"時間を捨て去り、幸せになるための今を大切にしなければならないのだ。後ろばかり気にしていては目の前の今すら棒にふることになるのだ。

 

新しい財布は以前の財布に比べて半値くらい違う。再び失くすことへの恐怖が捨てきれなかったのだ。でも今はこれでいい。新しい財布を購入することに意味があるのだ。

 

これは過去への執念を断ち切るための一歩だったのだ。

 

 

 

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MARGARET HOWELLのがま口財布。

大変可愛いうえにMARGARET HOWELLのお財布を持っている、という事実に浸ることができる素敵アイテムとなっている。

 

 

オフショルダーのトップスを着ると溢れ出すABAZURE感に襲われていたのだが、その正体が胸にあることに最近気づいた。

 

 

くだをまく

twitterへの鬱イート(笑)が増えつつあるので吐き出し口をもう少し狭めてみる。

 

昔はブログなど何も考えずにペロペロ書いていたものだが、無駄に年をとったのか拗らせたのか。相手に自分の情報を如何にして知られず自分の内側を綴られるか、といった考えしか浮かばず何の為のブログなのか。いや、自分を知ってもらうためで無い事は確かだが。

 

無職は暇なので暇を持て余すことなく使いたい。