男女の友情。

1ミリも信用のない言葉がこれほどにあるだろうか。

最近、札幌へ引っ越してきてできた友人が1人もいないことに悲しみを覚え、友達とはなんぞや、どうやって作るものぞとひたすら考えていた。

元々友達を作るのは苦手で、長く関係を続けることも苦手だ。関係を続けるための逢瀬は非常に億劫だし、億劫がり会わないと関係は廃れる。でも根本が寂しがりなために会うのはめんどくさいくせに友達がいないと寂しくて辛い。もう欠陥品でしかない。

そんなこんなでそうだ、友達作ろう。と思い立ったは良いが作り方がわからなかった。価値観の似ている友人にクラ↑ブ↑に行くと出来るのかな、と聞いたところその考えがそもそも間違っていると指摘されもうなおわからなくなった。

じゃあ、友達ってどうやって作るんだよ。

そもそも出不精なため、人と会う場なんて会社ぐらいしかない。会社の同僚とトモダチ!休みの日も同僚とおでかけするよ!なんて人そもそもいるのか。絶対いないだろ。

仕方ないのでもう男女見境なしに友人を作ろうとインターネットに頼ったところ、性欲をちらつかせた男性しか集まらなかった。どんなに趣味が合ったところで、合ったと思うのは自分だけだった。相手は合わせているだけだった。そんなもんだ、インターネッツ。男女の友情なんて1ミリもなかった。楽しいのは自分だけだった。

私にはもう今いる少ない友達をなんとかかんとか大事にする道のみしか残されていなかった。

ララランド観たさがすごい。

大抵観たい映画があれば誰か一緒に観たい人を探すか、いなければ1人でも観に行く。でも、この映画は1人で観てはいけない映画だと私の本能が悟っている。

ミュージカルものは好きだ。美女と野獣実写化もわりと楽しみにしている。しかし、それらは1人で観に行くものであろうか。

きっと、ミュージカル的映画は、懇意にしている友人や、仲の良い異性、恋人と観に行ってあの場面が良かった、ロマンチックで素敵だったと話しながら素敵なディナーを食べに行くまでが1セットなのでは?と思う。

きっとそこまですることを考えた編成の映画なんだ…と考えて挙句完全に1人で観に行く気が起きなかった。仕方なく原作未プレイ人間に鬼畜と噂のアサシンクリードを1人観に行くしかない。アア、たたたのしみだなあ〜。

家に住んでいた元カレピピこが4月中に出ていくことが確実になった。

2年近くAADAAKOODAA言ってたわりに、あっさりとした結末だった。

正直もう半分以上諦めていた部分もあったし、腹をくくるとはこういうことかと身を以てして実感したこともあった。でも、人生そんなもんである。神様は誰に味方したのか。

とりあえず、1人で暮らすことが寂しかったらどうしようという不安にただただ襲われている。もうそうなったら私に残されている道はまた一つで、死あるのみだ。

こんなめんどくさい思考を捏ねくり回してこじらせるのは大抵お酒を飲んでいるときで、例外もなく今日も友人とお酒を飲んでいた。一緒にお酒を飲んでくれる友人がいるうちはまだまだ幸せだなあと思う次第。一生懸命大事にしたい。



後から読み返せば被害者ぶった殴り書きの思想だなあと思ったけど、本質な気がするのでそのまま晒すことにする。