多種多様なSNSのアカウントを消した。

もともとSNSに頼りがちな人間で、メールだったりLINE等であまり個人的に連絡を取り合うのが苦手なためにSNS経由の会話が多かった。

個人が私の返事を待ってるという焦燥感が嫌いなのだ(パブリックな状態であればなんか緩和される気がする)。あと端的に気を使った文章を打つのがめんどくさい。

でもそんなことを言っていて許されるのはきっと学生のうちまでで、いい社会人がSNS頼りの生活は圧倒的にやめたほうがいいんであろう。

とりあえずまあ、色々思うところがあったのだった。

我ながら感受性が高い人間だと自負している。

中でも文字にうんと弱くて、見える言葉に感化されやすく、音楽の歌詞にも心が鬱々とすることが多々ある。小説にも酷く心が揺さぶられる。

Twitterは、そういう私に強く畳み掛けるツールだった。

自分で可視化してしまった負の感情に付きまとわれ落ち込むことがよくあった。

私は自分の感情を目に見える形で整理するのが好きだ。あとから読み返して、こいつ気持ち悪いなあと思いながら酒のつまみにするのである。気持ち悪くて最高かよ。

そんなことばかりしてたらいつの間にか抜けなくなった負の感情に、自分で押しつぶされて身動きが取れなくなっていた。自重で潰れゆく感覚を味わった。

Twitterの人と会ったこともあった。
黄色いクーペフィアットで深夜の東名高速を疾走した。

こないだ営業さんたちがオフ会が如何に健全か、オフ会が如何に気持ち悪いかを討論していた。

それに関してはどちらも正しい。一般論は後者なので私はそちらを支持する。

簡単に言えば、ネットに溺れるやつは大抵クソって話。
Twitterは辞めて正解って話。

Twitterをやめてから、あまり心の風邪をひかなくなった。
(そのぶん頭の回転は鈍っていく一方である。運転免許を剥奪された老人みたいだ。)

椎名林檎の労働者という曲がある。
まさに根本的思想がこれだから人間として非常に生き辛い。真面目に生きる気が1ミリもない。

したいことすら知らないし、辛いのは余り堪えられない。

先日行った一風変わった居酒屋のお姉さんの制服が非常にえっちで、ひたすらあー太ももいいな?と連呼していた。思想がおっさんのそれに近い。あいにくイケメンを見てキャー!といい仰せる感性は持ち合わせていない、もうダメかもしれない。でも黙々とケーキを食べる男の人にはキュンとした。まだ大丈夫だ。

2月生まれだけど2月が嫌い。焦燥感があるから。嫌いと思う前に2月も終わった。

春の小雨が小さな雪に変わって、緩慢に冷えて固まると大きくなるのは鉱石だったか雪だったか考えてる。

料理教室なんて通うやつの気が知れないと思っていたけど、あれは料理が上手くなるためじゃなくて、社会人が友達を作るためのツールだと先日友人に付き合って気づいた。

もう色々とダメだけど、ひたすら生きてる。