読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

仕事を辞めてよかった話。

見て嫌になるものはわざわざ見ない話。

快適な生活の話。

お酒を飲まなきゃ寝られない話。

森見登美彦の話。

自炊をするということ。

GWが休みの話。

恋人は帰る家って話。

星野源の生活は続くを読んだ話。

クズの本懐がただの美人な私だった話。

心を疲弊させないことによって心を失った話。

病気の話。

髪を切った話。

職場でカステラを食べる話。

普通の人間になりたい話。

横澤夏子みたいになりたい話。

ご飯を食べている途中で飽きてしまう話。

明るいうちにお風呂に入る話。

本はタイトルと装丁で選ぶ話。

独り暮らし初心者の話。

DQNのほうがピュアな話。

音楽を作る人の思考はダダ漏れな話。

よいきちがいの話。

すぐにえろいと言ってしまう話。

紺色のスーツがえろい話。スリーピースだとなおの話。

明るい地獄の話。

明るい地獄、というパワーワード。いつかどこかで耳にした。

私は無条件で自分を愛してくれるひとをずっと探していた。

嫌われる要素が人より多い私にとって、何をしても好きでいてくれるひとが1人でもいたらどんなに救われるだろうと何度も考えていた。

元カレが家を出て行くことになった。

ここ数ヶ月色々あって揉めに揉めた挙句、もう2人で生きていくと腹を括った矢先であった。

私は別れてからずっとこのままではいけない、色んな経験を積まねばなるまいと、右往左往していた。それと同時に住み着く元カレに早く出ていくよう耳にタコができるほど言っていた。

右往左往していたことは元カレには敢えて言わなかった。言ったところで面倒なことになるのが目に見えていたからだ。

まあ、案の定詰めの甘い私によって彼も知るところになるわけなのだけど。


それからというもの、私が男女問わず誰かに会うため外出するたび、また男か、なんで俺がいるのに他の男と会うんだ、と、思った通りの面倒なことになった。

そのうち、いちいち言われることが面倒くさくなり、外出するのをやめた。

もう一生この人が人生につきまとってくるのだ、と思った。なんなら、私が他の男と寝ていても私を一途に想っているこの人のそれはむしろ狂気じみた純愛ではないか、とすら思った。

私の探していた無条件で自分を愛してくれるひとはこんなひとだったか、と思った。

そこからはもう全てを諦め、彼との生活を如何に行うかだけ考えた。


これは、明るい地獄だ。


そんな矢先の話であった。
はたして地獄に留まり続けることになったのは一体誰だろうか。


ふと、寂しくなって人に会いたくなる。

寂しさの敵は暇にあって、次点で疲れにある。

大抵会いたくなる人は決まってて、ひたすら2人でお酒を飲んでひたすら2人で変な理屈こねくり回していられる人が良い。

なぜだかわたしの友人はまともな人たちばかりで、難ある性格の捻じ曲がった人間が片手で数えるほどしかいない。おそらく素直に育つとこうはならないのであろう。私も一般家庭でヌクヌクと育てられたはずなのになんだこの差は。

私は酔うとひたすら自分がゴミクズのような人間であって、それでなお周りの人間もクズばっかだと熱のある弁を奮いたくなるクズ人間なのであまりまともな人と1on1で飲むとドン引きされ今後の関係に響いてくるのでしたくない。と、私と同じような友人に以前熱弁した。わかる、とのことだった。

別に嫌いではない、むしろ好きな友人であっても私はどこか冷静に分析して挙句こいつはこういうタイプのクズだ、とジャンル分けしてしまう。もう性分だから許してほしい。それを理解できない人とはお話できない。疲れるから。相手も私も。

人間考えすぎると吐くんだよ、知ってた?私は知らなかった。
もう生きるために繋いでた関係性が煩わしくて仕方なくて、なんでこの人私のこと嫌いなくせにわざわざ大丈夫?って声をかけるんだろうなって思ってた。
生きるための関係性が如何に大事かわかってるから、嫌いでも建前上声をかけなきゃならないんだね。
何を考えてるのかわからない人の思考を見せ続けられるのは辛い。わかる人とだけ暮らしていきたいね。
好きな人に好きって伝えたいし、嫌いな人に嫌いって伝えたいね。
毎日人と喧嘩したいね。わかりあいたいね。
こんなことばっか言ってるから嫌われるんだろうね。

などと鬱々考えてたらパン生地に塩仕込むの忘れかけた。

一時期、愛してほしい、が口癖になっていた。

右往左往して色んな人と色んな経験を積んでいる時期のことだった。

どんなに色んな人と会ってもどんなに色んなことをしても根本的な飢えのようなものが満たされなかった。

おそらくそれはもう二度と充足たり得るものではなく、今後一生付き合っていかなければならないタイプの飢えだということに気づいたのはここ最近だ。

人に心置き無く甘える、ということが上手くできない。

ワガママを言えば嫌われる気がするし、容赦無く甘えればブスのくせにと引かれる気がするのであった。

そこを今まで上手く埋めていたのは恋人という名称の人間だったし、彼と別れてからは見ないふりをし続けてパンパンに膨らんだ自己認識欲求が破裂しかけている状態が飢えの原因であるように思えた。

セックスなしで会えない関係の人間に求めても埋まらない、飢餓。

今後この先私はどうやって誰に自己認識欲求をぶつけたら良いのであろうか、未知数すぎて考えたくもない。

SNSをやめたから心の風邪をひかなくなったんじゃなくて、考えるのをやめたから心の風邪をひかなくなったのであって、地獄であることには一切変わりなかった。

男女の友情。

1ミリも信用のない言葉がこれほどにあるだろうか。

最近、札幌へ引っ越してきてできた友人が1人もいないことに悲しみを覚え、友達とはなんぞや、どうやって作るものぞとひたすら考えていた。

元々友達を作るのは苦手で、長く関係を続けることも苦手だ。関係を続けるための逢瀬は非常に億劫だし、億劫がり会わないと関係は廃れる。でも根本が寂しがりなために会うのはめんどくさいくせに友達がいないと寂しくて辛い。もう欠陥品でしかない。

そんなこんなでそうだ、友達作ろう。と思い立ったは良いが作り方がわからなかった。価値観の似ている友人にクラ↑ブ↑に行くと出来るのかな、と聞いたところその考えがそもそも間違っていると指摘されもうなおわからなくなった。

じゃあ、友達ってどうやって作るんだよ。

そもそも出不精なため、人と会う場なんて会社ぐらいしかない。会社の同僚とトモダチ!休みの日も同僚とおでかけするよ!なんて人そもそもいるのか。絶対いないだろ。

仕方ないのでもう男女見境なしに友人を作ろうとインターネットに頼ったところ、性欲をちらつかせた男性しか集まらなかった。どんなに趣味が合ったところで、合ったと思うのは自分だけだった。相手は合わせているだけだった。そんなもんだ、インターネッツ。男女の友情なんて1ミリもなかった。楽しいのは自分だけだった。

私にはもう今いる少ない友達をなんとかかんとか大事にする道のみしか残されていなかった。

ララランド観たさがすごい。

大抵観たい映画があれば誰か一緒に観たい人を探すか、いなければ1人でも観に行く。でも、この映画は1人で観てはいけない映画だと私の本能が悟っている。

ミュージカルものは好きだ。美女と野獣実写化もわりと楽しみにしている。しかし、それらは1人で観に行くものであろうか。

きっと、ミュージカル的映画は、懇意にしている友人や、仲の良い異性、恋人と観に行ってあの場面が良かった、ロマンチックで素敵だったと話しながら素敵なディナーを食べに行くまでが1セットなのでは?と思う。

きっとそこまですることを考えた編成の映画なんだ…と考えて挙句完全に1人で観に行く気が起きなかった。仕方なく原作未プレイ人間に鬼畜と噂のアサシンクリードを1人観に行くしかない。アア、たたたのしみだなあ〜。

家に住んでいた元カレピピこが4月中に出ていくことが確実になった。

2年近くAADAAKOODAA言ってたわりに、あっさりとした結末だった。

正直もう半分以上諦めていた部分もあったし、腹をくくるとはこういうことかと身を以てして実感したこともあった。でも、人生そんなもんである。神様は誰に味方したのか。

とりあえず、1人で暮らすことが寂しかったらどうしようという不安にただただ襲われている。もうそうなったら私に残されている道はまた一つで、死あるのみだ。

こんなめんどくさい思考を捏ねくり回してこじらせるのは大抵お酒を飲んでいるときで、例外もなく今日も友人とお酒を飲んでいた。一緒にお酒を飲んでくれる友人がいるうちはまだまだ幸せだなあと思う次第。一生懸命大事にしたい。



後から読み返せば被害者ぶった殴り書きの思想だなあと思ったけど、本質な気がするのでそのまま晒すことにする。

多種多様なSNSのアカウントを消した。

もともとSNSに頼りがちな人間で、メールだったりLINE等であまり個人的に連絡を取り合うのが苦手なためにSNS経由の会話が多かった。

個人が私の返事を待ってるという焦燥感が嫌いなのだ(パブリックな状態であればなんか緩和される気がする)。あと端的に気を使った文章を打つのがめんどくさい。

でもそんなことを言っていて許されるのはきっと学生のうちまでで、いい社会人がSNS頼りの生活は圧倒的にやめたほうがいいんであろう。

とりあえずまあ、色々思うところがあったのだった。

我ながら感受性が高い人間だと自負している。

中でも文字にうんと弱くて、見える言葉に感化されやすく、音楽の歌詞にも心が鬱々とすることが多々ある。小説にも酷く心が揺さぶられる。

Twitterは、そういう私に強く畳み掛けるツールだった。

自分で可視化してしまった負の感情に付きまとわれ落ち込むことがよくあった。

私は自分の感情を目に見える形で整理するのが好きだ。あとから読み返して、こいつ気持ち悪いなあと思いながら酒のつまみにするのである。気持ち悪くて最高かよ。

そんなことばかりしてたらいつの間にか抜けなくなった負の感情に、自分で押しつぶされて身動きが取れなくなっていた。自重で潰れゆく感覚を味わった。

Twitterの人と会ったこともあった。
黄色いクーペフィアットで深夜の東名高速を疾走した。

こないだ営業さんたちがオフ会が如何に健全か、オフ会が如何に気持ち悪いかを討論していた。

それに関してはどちらも正しい。一般論は後者なので私はそちらを支持する。

簡単に言えば、ネットに溺れるやつは大抵クソって話。
Twitterは辞めて正解って話。

Twitterをやめてから、あまり心の風邪をひかなくなった。
(そのぶん頭の回転は鈍っていく一方である。運転免許を剥奪された老人みたいだ。)

椎名林檎の労働者という曲がある。
まさに根本的思想がこれだから人間として非常に生き辛い。真面目に生きる気が1ミリもない。

したいことすら知らないし、辛いのは余り堪えられない。

先日行った一風変わった居酒屋のお姉さんの制服が非常にえっちで、ひたすらあー太ももいいな?と連呼していた。思想がおっさんのそれに近い。あいにくイケメンを見てキャー!といい仰せる感性は持ち合わせていない、もうダメかもしれない。でも黙々とケーキを食べる男の人にはキュンとした。まだ大丈夫だ。

2月生まれだけど2月が嫌い。焦燥感があるから。嫌いと思う前に2月も終わった。

春の小雨が小さな雪に変わって、緩慢に冷えて固まると大きくなるのは鉱石だったか雪だったか考えてる。

料理教室なんて通うやつの気が知れないと思っていたけど、あれは料理が上手くなるためじゃなくて、社会人が友達を作るためのツールだと先日友人に付き合って気づいた。

もう色々とダメだけど、ひたすら生きてる。

先日、23回目の誕生日を迎えた。

何もせずともじわじわ年を取っていくことになんとも言えない不安を覚える。

23歳。母が結婚した年だった。

結婚の予定もなければ相手もいない今の状況で、私は何歳で結婚するのだろう。以前、結婚は通過儀礼だと話していて一番しっくりきた。普通の人間として結婚は普通にクリアしたい。

色々な事情が重なり会社のお兄さんお姉さんと人生初のユニバーサルなんちゃらなんちゃらに誕生日当日に行くことになった。

入社して1ヶ月も経っていないためにちゃんと話したことのない人がたくさんいた。でも絶叫系にどうしても乗りたかった私はほぼ話したことのないお兄さん(ガチムチ×6)に混じって絶叫系に乗ることになったし、なんだかんだでそれなりに仲良くもなった。有意義な誕生日だった。

人見知りとしてはこういう機会で仲良くなれるととても嬉しいし、人見知りと言うと誰も信じてくれないの本気で意味がわからない。楽しい旅行でした。

ニートじゃなくなってもうそろそろ1ヶ月経つ。

ニートの頃よりあまり心を病ませなくなった。色々物事をウンウン考える時間が減ったからだろうか。

今の職場は非常にホワイトな勤務体制だ。指導役のお姉さんと談笑しお茶を飲みながらパソコンに向かう毎日で、もう前の職場には2度と戻れないと思う。

ただ、ぬるま湯に溺れていく感覚がなぜか抜けない。

3年弱社畜として生きていたせいなのかわからない。仕事中1秒たりとも暇つぶしに時間を費やしたことがなかった。やることしかなかったからだ。でもその分仕事が身につくのは早かった。我ながらよくやっていたなあと思う。

する仕事がない不安に駆られる日がくるとは思わなかった。

1年後には当たり前になっているのかもしれない。それが当たり前になって良いのか悪いのか、今はまだわからない。

こだわりの強い人間のめんどくささを思い知る。

今の仕事の特性上か、今まで関わったことのないタイプの人種と話すことが多い。

話していてみんな物事を深くなんて考えていなくて、非常にさっぱりしている。オタク気質な人が少ない。

唯一なんだか顔が好みだなあと思ったお兄さんは、お酒が入るとひたすら一つの物事についてコンコンと喋り続けるオタク気質なめんどくさい人間だった。そういう星の下生まれていることをしっかり実感させられた。

こだわりの強いオタク気質な人間とばかり関わってきたせいか、さっぱりした人が物足りない。そんなのどれでもよくない?と言ってしまえる人に嫌悪を覚える。こんな圧倒的マイノリティに属しているうちはもう普通の人間付き合いができないかもしれない。

普通の人は人工甘味料の味なんて気にしない。

使っているペンの材質まで気にしない。

着ている服が何の素材で出来ているか気にしない。

わたしが好きだった人は多様な種類のネクタイを指で触って何から出来ているか、どのくらいの値段かを当てられる人だった。そういう人ばかり好きになる。もうどうしようもない。

先日、こういう機会がないと話すこともないからさ!なんか質問とかある?とお兄さんに聞かれて、咄嗟に特にないです!と答えてしまった。

個人のプライベートにまで踏み込みたくないし、踏み込まれたくないこと丸出しの最悪な回答だった。

私は何を聞けばよかったのだろうか。仕事をしていて1番印象に残ったことは?とか働きがいがあると思ったのは何をした時?とか聞けばよかったのだろうか。それとも無難に身長何センチあるんですか?とか彼女いるんですか?とか聞けばよかったのか。

シチュエーションに合わせての質問すらまともに出来ない完全なコミュ障だ。もう殺してほしい。

仕事を始めると考えることが仕事のことばかりになるなあと思う。

他のことを考えられる時間が少ないし、そもそも考えるような他のことがないからかもしれない。もう少し自分を持ちたい。

みんながみんな、違う正しさを抱えて生きてるということ。

年末年始、おそらく最初で最後であろう、のんびりした生活を地元に帰り送っていた。贅沢である。

年末年始ということもあって、色々な人が帰ってきているなか、いつもと変わりないメンバーとたらふくお酒を飲む良い年明けとなった。

その変わりないメンバーの一人にラウンジと呼ばれるキャバクラのレベルが高いバージョンで働いている友人がいる。その友人とサシで中心街に出かけた。

そもそも私は夜のお店で働いてる人間に非常に嫌悪を感じるような差別を抱えている。
その子が夜のお店で働き始めたことを知ったときは将来のこと考えて生きてる?絶対学校は卒業したほうがいい、まともな職に就かないと困るのは自分だ、とひたすら説得した覚えがある。
まあ説得も虚しく未だに働いているところを見ると無駄な努力だったと思うし、自己概念の押し付けだったとも思うのだけど。

その友人と仲が良いのは本当に奇跡に近いと思うし、性別と種族以外自分と何一つとして同じところがないし、その日もそれをわかっていながらひたすら揉めた。

普通の概念が違う人間と話すのは難しい。

自分が普通だと思っていることは相手にとってはありえないことで、また逆も然りなのだ。

その日はたまたま礼儀作法の話に始まって、ぼくがかんがえたさいきょうの男の話に辿り着いた。

そもそも彼女にとって男とは自分を如何にリードしてくれるか、如何にスマートな云々で気持ち良くさせてくれるかというところが大前提にあった。

(この時点で全く理解できないし理解しようともしてないから揉めるのだけど。)

だから私が付き合っていた男から好きになった男までひたすら全否定で、まあそりゃそうだわなあといった具合であったし、いい感じにお酒も入っていたために私も寛容になれずに落ち着いたイタリアンのお店で罵倒の応酬が始まることになったのであった。

そもそもそんなリード(笑)してくれるスマート(笑)で素敵な男性像って何十代の設定だよ、と。少なくとも私の知っている20代の設定ではないことは確かだし、お前が周りに囲っている男は全員4050代既婚だろう、と。

そんなことを噛んで含めて話しても、じゃあお前は経験の少ないもたついた童貞みたいな男が良いのか?と論点をすり替えられるだけに留まり、意地になった私も既婚のおっさんよりはましと返すほかなかった。

他にも自分の抱える理想の仕事像についても、素敵なアイリッシュコーヒーを出してくれる落ち着いたバーで揉めに揉めたのだが、噛み合わない議題であることが明確なので割愛する。居酒屋へ行け。

長年の付き合いなので揉めたとしても大抵しこりにはならないのだが、今回はひたすら持ち越していた(まあ数日後にはお互いケロっとしていたのだが)。

如何に普通の擦り合わせが難しいか、ということをひたすらに実感させられた会合だった。普通はこうでしょ?という会話がそもそも成り立たないのだ。もう宇宙人と会話しているも同然だった。それはきっと相手も同じだったと思う。

そんなことも手伝って、なんだか最近輪をかけて自分の正しさに自信がなくなってしまった。

浮気する男と何も知らない彼女について、するほうが完全に悪いし何を考えているのかわからないという私に、浮気されるような馬鹿な女が悪い、一人に執着するほうが間違っているという意見を聞いた。確かに一理あるなあ、とは思いつつも絶対に賛同できない意見だった。

友人にまさにこの浮気する男側がいたので、真相が知りたい私は電話をして何故彼女がいるのに他の女と色々するの?と開口一番聞いたところ、なに?今からおれ説教されるの?との返事だったし、何も考えてないよそんなんおれに聞くのが間違っているとの意見だった。真相は闇の中だったし、何も考えずに好きな女の子と好きなことできるのはある意味才能だと思った。

彼曰く、彼氏いるーとか浮気ぜったい無理ーとかいう女の子もちょちょっと甘いこと言ってちょちょっと触ってちょちょっと誘えば誰でもついてくるもん、本当クソだよクソ、絶対女なんか信用なんねぇという話だったんだけど、よく考えたらお前もおんなじじゃねえかと思い返してムカついてきた。

そんな感じでここ数日間、私が思う普通とは違う普通を抱えた人と色んな話をする機会が多く見聞が広がったし自分の正しさに自信がなくなった次第。他にも正しさが私に似てる友人がゲイにストーカーされている話だとか、愛してほしい概念の話だとか、悪条件で仕事を長年続けるやつが偉い話だとか、いっぱい垂れ流していたのだけど、まとめるのがめんどくさい。

勧善懲悪の話が好きです、自分の正義に自信の持てない世の中なので。

というわけで今年初めのパワーワードは正しさまともさ普通さです。

正しさの正しさを正しく教えてください。
今年も1年よろしくお願いいたします。

人生経験として人生初の占いに行ってきた。

正直占いは好きだけど、赤の他人の言葉をそんなに信じられるほど残念ながら素直ではないし、でも占い師が何を見てどんなことを言うのかにひたすら興味があった結果がこれだった。

友人2人と私の3人でエレベーターも付いていないボロボロのテナントビルに登り辿り着いた先にいたのは、雰囲気や風格のある女性などでなく何処にでもいそうなただのおじいちゃんであった。


姓名判断はそれなりに当たってはいた。しかし恋愛にしろ仕事にしろ、全てに問題を抱えた私に何を言うでもなく26歳くらいで結婚できるだの、仕事運はなくはないから大丈夫だの、当たり障りのないことをひたすらに述べられ、やはりそんなものかといった感じだった。

おそらく、"占い師"はその人の性格や悩みを見て見当外れではない、その人の欲しい言葉を投げかける仕事なのだなと思った。未来なんて見通せるわけはない。見通せているなら占い師なんて仕事はしないであろう。

そしてそれを素直に受け止められる人間だけが行くべき場所なのだと思う。何も頼るすべがない人が占いだよりにする理由もなんとなくわかる。適当でも敷かれた道を行くのは楽だ。

そしてそのおじいちゃんの話を聞いていて、私は達観している占い師のような友人のことをふと思い出していた。

おそらく人よりも観察力洞察力が極めて優れている人は皆占い師の素質があるし、私は占い師よりも私のことを知っている占い師"のような"友人の言葉のほうが素直に信じられる。

私は、自分には占い師は必要のないものだと確信した。

他の友人2人はなんとなくそれっぽい言葉を投げかけられて満足していたようなので何も言わなかった。おそらくそれくらいの言葉なら長年友人の私でも言えると思っていた。自分の性格の悪さに自ら辟易した。

とりあえず、人生経験としては十分ネタに成り得るものだったので満足している。もう二度と行くことはないが。


面接、筆記試験、適性検査、作文提出を受けたあとの最終面接で、飽きっぽく優柔不断であると診断が出ていますが自分ではどう思われますか?と聞かれた。

適性検査を受けたのはおそらく自動車学校以来の2回目であるが、診断の的確さに驚いた。



ニートになってはや5ヶ月。最近ようやく真面目に就活を始めていた。

5ヶ月間何をしていたかといえば、就職訓練学校にも行かず地元と自宅を行き来し、心の赴くまましたいことだけしてきた。したいことだけしてたいし、痛いのはあんまり好きじゃない。

大抵の人は長期休みがあれば旅行や趣味に時間を充てるのかもしれない。しかし、私旅行は好きだが一人旅行は性分じゃないし趣味らしい趣味もない。
今までいろんな趣味を探してきた。編み物もしたしギターも弾いた。アクセサリーをハンドメイドしたり羊毛フェルトやグラスリッツェンまで、最近ではわざわざミシンを買って縫い物もした。ネイルは仕事を辞めた時に大量に購入した。紙粘土や木を彫っていたこともあった。

しかしどれも中途半端に上達したあげく、飽きた。
おそらく忘れっぽい私が思い出せる範囲でこれだけあるのだから、他にも色々あるのだと思う。自分でも呆れる。

これは完全に母からの遺伝であるが、その母は中途半端でなく完璧にこなしてから飽きていた。なのにこの娘ときたらもうどうしようもない。

最終的に面接で聞かれた、飽きっぽいという結果が出ていますが長年続けている趣味などはありますか?との問いに対し、読書です…と無難な答えを投げつけるに至った。この世で一番酷い回答であった。

とりあえず苦労の甲斐あってか、9時5時土日祝日休み(予定は未定)という夢のような職場への採用をブチ決めニート脱出をすることになった。

このニートをしていた5ヶ月間、普段では絶対しないような行動を起こして自ら傷つくようなことばかりしていた気がする。

しかしその行動に私は一切後悔はしていないし、むしろ良い経験だったと思えることばかりだった。多少のしこりが残ることはあるが、それは自らの決断によるものであるし、必要なものであったのだと思う。

どう思うかはわからないが、私は本当に楽しかった。色々と方々に申し訳ないことをしたのは重々承知している。しかし何にしても何一つ嘘はついていない。許して欲しい。とりあえずウジウジと考えている暇もないので前を向きたい。26歳で結婚できるらしい(笑)のでいい加減に次へ進めるよう努力したい。

それなりに目処は立った。あとは自分次第だ。占い師でなく、自分で道を作っていけるように進みたい。