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自分のことは自分でキメたい。
いつの間にか失っていた自我はおそらく期待するのをやめたあの時に、"誰か"の手によって刈り取られたのだろう。
その誰かが誰だか私は知っているし、何もかもその誰かのせいにするのが間違っていることも知っている。
I know. と。
その言葉が何を意味するか、昔の私にはわからなかった。わからないままでいればよかったのに。
4年も無理やり引きずられて、気づけば自分の足で歩くこともままならない。ここで話すべきは何だろうか。何を訴えても心まで響かない。私に自我は再び芽生えてくれるだろうか。
すべて笑顔で誤魔化し続けてきた自覚がある。笑い事じゃない、なんて何度も聞こえた。
いつまで経っても付いて回るのは過去で、未来なんか見えようもない。踏み出した一歩目の先は本当に地面だったんだろうか。
いつまで経ってもまとめられない怒りの感想を放置している。書きたいことがたくさんある。たくさんあるうちのどれかをピックアップすることができない。どれがいいのかわからない。
いつの間に私は考えるのをやめたんだ?
人間が考える葦であるなら、私はもはや人間ですらないのかもしれない。考えることをやめ、成長をやめ、行き着く果ては何なんだろう。
はやく人間になりたい。
希望と絶望はセットになっていて、片割れのもとへ無事届けるまで僕らはひたすら走らされるのだと、大好きな人が言っていた。
希望をもった人間だけが絶望を得られるのなら、希望を捨てた今の私はもう何も得られないのだろうか。
あと味噌ラーメン食べたい。