みんながみんな、違う正しさを抱えて生きてるということ。

年末年始、おそらく最初で最後であろう、のんびりした生活を地元に帰り送っていた。贅沢である。

年末年始ということもあって、色々な人が帰ってきているなか、いつもと変わりないメンバーとたらふくお酒を飲む良い年明けとなった。

その変わりないメンバーの一人にラウンジと呼ばれるキャバクラのレベルが高いバージョンで働いている友人がいる。その友人とサシで中心街に出かけた。

そもそも私は夜のお店で働いてる人間に非常に嫌悪を感じるような差別を抱えている。
その子が夜のお店で働き始めたことを知ったときは将来のこと考えて生きてる?絶対学校は卒業したほうがいい、まともな職に就かないと困るのは自分だ、とひたすら説得した覚えがある。
まあ説得も虚しく未だに働いているところを見ると無駄な努力だったと思うし、自己概念の押し付けだったとも思うのだけど。

その友人と仲が良いのは本当に奇跡に近いと思うし、性別と種族以外自分と何一つとして同じところがないし、その日もそれをわかっていながらひたすら揉めた。

普通の概念が違う人間と話すのは難しい。

自分が普通だと思っていることは相手にとってはありえないことで、また逆も然りなのだ。

その日はたまたま礼儀作法の話に始まって、ぼくがかんがえたさいきょうの男の話に辿り着いた。

そもそも彼女にとって男とは自分を如何にリードしてくれるか、如何にスマートな云々で気持ち良くさせてくれるかというところが大前提にあった。

(この時点で全く理解できないし理解しようともしてないから揉めるのだけど。)

だから私が付き合っていた男から好きになった男までひたすら全否定で、まあそりゃそうだわなあといった具合であったし、いい感じにお酒も入っていたために私も寛容になれずに落ち着いたイタリアンのお店で罵倒の応酬が始まることになったのであった。

そもそもそんなリード(笑)してくれるスマート(笑)で素敵な男性像って何十代の設定だよ、と。少なくとも私の知っている20代の設定ではないことは確かだし、お前が周りに囲っている男は全員4050代既婚だろう、と。

そんなことを噛んで含めて話しても、じゃあお前は経験の少ないもたついた童貞みたいな男が良いのか?と論点をすり替えられるだけに留まり、意地になった私も既婚のおっさんよりはましと返すほかなかった。

他にも自分の抱える理想の仕事像についても、素敵なアイリッシュコーヒーを出してくれる落ち着いたバーで揉めに揉めたのだが、噛み合わない議題であることが明確なので割愛する。居酒屋へ行け。

長年の付き合いなので揉めたとしても大抵しこりにはならないのだが、今回はひたすら持ち越していた(まあ数日後にはお互いケロっとしていたのだが)。

如何に普通の擦り合わせが難しいか、ということをひたすらに実感させられた会合だった。普通はこうでしょ?という会話がそもそも成り立たないのだ。もう宇宙人と会話しているも同然だった。それはきっと相手も同じだったと思う。

そんなことも手伝って、なんだか最近輪をかけて自分の正しさに自信がなくなってしまった。

浮気する男と何も知らない彼女について、するほうが完全に悪いし何を考えているのかわからないという私に、浮気されるような馬鹿な女が悪い、一人に執着するほうが間違っているという意見を聞いた。確かに一理あるなあ、とは思いつつも絶対に賛同できない意見だった。

友人にまさにこの浮気する男側がいたので、真相が知りたい私は電話をして何故彼女がいるのに他の女と色々するの?と開口一番聞いたところ、なに?今からおれ説教されるの?との返事だったし、何も考えてないよそんなんおれに聞くのが間違っているとの意見だった。真相は闇の中だったし、何も考えずに好きな女の子と好きなことできるのはある意味才能だと思った。

彼曰く、彼氏いるーとか浮気ぜったい無理ーとかいう女の子もちょちょっと甘いこと言ってちょちょっと触ってちょちょっと誘えば誰でもついてくるもん、本当クソだよクソ、絶対女なんか信用なんねぇという話だったんだけど、よく考えたらお前もおんなじじゃねえかと思い返してムカついてきた。

そんな感じでここ数日間、私が思う普通とは違う普通を抱えた人と色んな話をする機会が多く見聞が広がったし自分の正しさに自信がなくなった次第。他にも正しさが私に似てる友人がゲイにストーカーされている話だとか、愛してほしい概念の話だとか、悪条件で仕事を長年続けるやつが偉い話だとか、いっぱい垂れ流していたのだけど、まとめるのがめんどくさい。

勧善懲悪の話が好きです、自分の正義に自信の持てない世の中なので。

というわけで今年初めのパワーワードは正しさまともさ普通さです。

正しさの正しさを正しく教えてください。
今年も1年よろしくお願いいたします。

人生経験として人生初の占いに行ってきた。

正直占いは好きだけど、赤の他人の言葉をそんなに信じられるほど残念ながら素直ではないし、でも占い師が何を見てどんなことを言うのかにひたすら興味があった結果がこれだった。

友人2人と私の3人でエレベーターも付いていないボロボロのテナントビルに登り辿り着いた先にいたのは、雰囲気や風格のある女性などでなく何処にでもいそうなただのおじいちゃんであった。


姓名判断はそれなりに当たってはいた。しかし恋愛にしろ仕事にしろ、全てに問題を抱えた私に何を言うでもなく26歳くらいで結婚できるだの、仕事運はなくはないから大丈夫だの、当たり障りのないことをひたすらに述べられ、やはりそんなものかといった感じだった。

おそらく、"占い師"はその人の性格や悩みを見て見当外れではない、その人の欲しい言葉を投げかける仕事なのだなと思った。未来なんて見通せるわけはない。見通せているなら占い師なんて仕事はしないであろう。

そしてそれを素直に受け止められる人間だけが行くべき場所なのだと思う。何も頼るすべがない人が占いだよりにする理由もなんとなくわかる。適当でも敷かれた道を行くのは楽だ。

そしてそのおじいちゃんの話を聞いていて、私は達観している占い師のような友人のことをふと思い出していた。

おそらく人よりも観察力洞察力が極めて優れている人は皆占い師の素質があるし、私は占い師よりも私のことを知っている占い師"のような"友人の言葉のほうが素直に信じられる。

私は、自分には占い師は必要のないものだと確信した。

他の友人2人はなんとなくそれっぽい言葉を投げかけられて満足していたようなので何も言わなかった。おそらくそれくらいの言葉なら長年友人の私でも言えると思っていた。自分の性格の悪さに自ら辟易した。

とりあえず、人生経験としては十分ネタに成り得るものだったので満足している。もう二度と行くことはないが。


面接、筆記試験、適性検査、作文提出を受けたあとの最終面接で、飽きっぽく優柔不断であると診断が出ていますが自分ではどう思われますか?と聞かれた。

適性検査を受けたのはおそらく自動車学校以来の2回目であるが、診断の的確さに驚いた。



ニートになってはや5ヶ月。最近ようやく真面目に就活を始めていた。

5ヶ月間何をしていたかといえば、就職訓練学校にも行かず地元と自宅を行き来し、心の赴くまましたいことだけしてきた。したいことだけしてたいし、痛いのはあんまり好きじゃない。

大抵の人は長期休みがあれば旅行や趣味に時間を充てるのかもしれない。しかし、私旅行は好きだが一人旅行は性分じゃないし趣味らしい趣味もない。
今までいろんな趣味を探してきた。編み物もしたしギターも弾いた。アクセサリーをハンドメイドしたり羊毛フェルトやグラスリッツェンまで、最近ではわざわざミシンを買って縫い物もした。ネイルは仕事を辞めた時に大量に購入した。紙粘土や木を彫っていたこともあった。

しかしどれも中途半端に上達したあげく、飽きた。
おそらく忘れっぽい私が思い出せる範囲でこれだけあるのだから、他にも色々あるのだと思う。自分でも呆れる。

これは完全に母からの遺伝であるが、その母は中途半端でなく完璧にこなしてから飽きていた。なのにこの娘ときたらもうどうしようもない。

最終的に面接で聞かれた、飽きっぽいという結果が出ていますが長年続けている趣味などはありますか?との問いに対し、読書です…と無難な答えを投げつけるに至った。この世で一番酷い回答であった。

とりあえず苦労の甲斐あってか、9時5時土日祝日休み(予定は未定)という夢のような職場への採用をブチ決めニート脱出をすることになった。

このニートをしていた5ヶ月間、普段では絶対しないような行動を起こして自ら傷つくようなことばかりしていた気がする。

しかしその行動に私は一切後悔はしていないし、むしろ良い経験だったと思えることばかりだった。多少のしこりが残ることはあるが、それは自らの決断によるものであるし、必要なものであったのだと思う。

どう思うかはわからないが、私は本当に楽しかった。色々と方々に申し訳ないことをしたのは重々承知している。しかし何にしても何一つ嘘はついていない。許して欲しい。とりあえずウジウジと考えている暇もないので前を向きたい。26歳で結婚できるらしい(笑)のでいい加減に次へ進めるよう努力したい。

それなりに目処は立った。あとは自分次第だ。占い師でなく、自分で道を作っていけるように進みたい。

友人とお酒を飲んだ。

毎回集まる友人はだいたい決まっていて中高大のそれぞれ仲良くしていた友人になる。元々連絡不精のうえ人に嫌われるような性格をしているからか年々仲の良い友人が減っていく。Twitter廃人だからTwitterで繋がっている友人のみが残っていく。ろくでもない。

今回は高校のときの親友と、だった。
彼女は本当に私と真逆で、雰囲気は大人っぽく誰に対してもクールで自分の意見をはっきり言える自分を持っているEXILE系と日ハムが好きで誰にでも好かれるような、そんな親友だった。本当になぜ仲良くなったのかが未だにわからない。1ミリも共通点が見当たらない。

そんな親友だからこそか、物事に関する観点が一切違って毎回未知の領域を知らされるし、心から尊敬してやまない。

定期的に会っていると話すこともそんなに無くなって、大体が最近の仕事事情か恋愛事情か過去話に花を咲かせることになるのだが、基本的に元カレまだ出ていってないの?本当にそれでいいの?一生幸せになれないよ?の説教から始まる。そんな話を1年近くもしていることも問題であるが何も言うまい。

仕事もしていないニートだから仕事事情は聞くばかりになってしまうし、大抵恋愛事情を洗いざらい話すことになるのだが、いつからそんなになったの?と言われるばかりで返す言葉も見つからない。おそらくこのままいけば唯一の親友も失うことになるであろうことが明白だ。

色々あって元カレのせいで連絡をとるのが気まずくなった子がいる、という話をしてお前のそれは自業自得だし気まずい気まずい言っていないで連絡をとれ、とれないならそこまでの男だからとひたすら説法を説かれた。さすがお寺の娘さんである。説法上手だ。

まあ正直これができるのは彼女ならではだと思うし、メンタルが豆腐な傷つきたくない日本代表としてはもう絶対これ以上傷つきたくないです…と言葉を絞り出すので精一杯だった。いつまで経っても誰かひとりとまともに向き合えないまま終わる人生が見えまくった。

おそらく全て正しいのは彼女で、彼女の言うことは大抵間違ってはいない正論なのである。ただ、私が正論を真っ向から受け止める覚悟のない人間であっていつまでもその場で足踏みし続けて嫌だの無理だのあーだこーだ言っているからいつまで経っても前に進まないのだ。

私はもうひたすらここに縫い止められてしまったクズと化したのだ。

誰かと前に進みたい、どころではない。ひとりですら前に進めない。ただ誰かの足を引っ張り続けて人生が終わる。面倒くさいがゆえにナアナアにした面倒事に引き摺られて人生が終わる。ありがとう人生。いままで御苦労だった。

真摯に誰かと向き合うことが不可能ないま、誰かと一緒にいることは不幸でしかないことに気づいてから、また人に会うことをやめた。お疲れさまでした。

病み上がったのでここ何日か連続で飲みに出かけ海鮮舟盛りを食べ喉が腫れアレルギーか…?と思えばただの風邪で、普通に熱はぶり返すは身体は痛いは吐き気は酷いはで完全にあたまのわるみがすごい。

あとイタリアンイタリアンしい料理がそんなに好きじゃないことに気づいた。なんでもチーズ降っときゃ女子が喜ぶと思うなよ。

ちゃんと知り合って3ヶ月、2回しか会ったことのない地元の友人に告白をされた。

もちろん3ヶ月の間LINEのやりとりなんて数えられるほどしかしていないし、私はいつも通り自分についての情報なんてほとんど与えていない。私のことなんかほとんど知らないに等しいのだ。知っているとすればそんな良いわけでもない外見とただの明るい馬鹿である外面ぐらい。

そんな私のどこを見て好きだのなんだの言えるのかが正直本当にわからなかった。

私は自分でも持て余すくらいに面倒くさい人間で、そのうえに面倒くさい事情まで抱えている。そんな私と付き合いたいとすればそれは見る目がないか自分に酔いたい人間かただのドMかのいずれかだと思っている。

でもこれはあくまで私のことを知った上での話だ。

相手のことを何も知らずして付き合うことのリスク計算を私はしてしまう人間であるし、リスク計算したうえでおそらくそんな馬鹿な真似はしない。

だからこそそういった行動を起こす人間のことが本当にわからないし、そういった相手にどういった対応をしたらいいのかわからない。

普通にお互い何も知らないでしょう?といえば付き合ってから知っていけばいい、私なんかと付き合うのはやめたほうがいいといえばそんなことない君は魅力的な人だ。すでに矛盾が起こっている。

だからといって卑怯な私はよく知りもしない人を傷つけることがしたくなくて、あやふやにして流していたら余計に拗れた。それなりに相手に合わせて返信をすれば、こんなやりとりしてくれるのだから自分のことを少なからず嫌いではないはず!。嫌いでなければ告白を承認してもらえると思っているおめでたい頭が羨ましい。

ただ単にきちんと断れない私がいけない。気づいたのは今さらになってからだった。

私はなるべく人に嫌われたくない。いつでも考えの根底にそれがある。それゆえに起こした行動で人を傷つけることが多々あった。どうしてこんなことになってしまうのか、の未来予測がいまだにうまくできない。もうどうしようもない。

今回は告白をうまく断れずになあなあにした結果、相手に気を持たせてしまい、ちゃんと断らなければいけないと今さらノーを示し相手を傷つけた。結果的に嫌われもしたと思われる。

その場しのぎの行動が如何に醜いか、反省すれば分かる。でもいざその場になると正しい判断がつかない。自分でも呆れる。

いつになったら私は人の気持ちをしっかり汲んで行動できるようになるだろう。もしかしたら一生できないのかもしれない。そうなればやはり私は私のことを何も知らない人にはっきりイエスともノーとも言うことができない。

もう正直、すべてが面倒くさい。

延々と泣き言しか言わない私のことを知ってほしい。何にでも捻くれた考えしかしない、承認要求の塊で自分が可愛くて自分のことが嫌いな、ひたすらに面倒くさい私を知った上で、それでも好きだと言ってほしい。

でももう知ってもらう努力をすることが面倒くさくなってしまっている。こんなに面倒くさい人間が好かれるはずがないという考えが前提にあるからかもしれない。

もう二度と私はまともに恋愛ができないのかもしれない。

つい先月のおわり頃、膀胱炎らしき症状に見舞われた。

たいていストレスで免疫力の下がった頃合にかかるので、あーまたか…くらいの気持ちで市販されている苦い漢方薬を4日分しっかり飲みきった。軽めの症状であればいつもこれで治るのだが、今回はそうもいかなかった。

あれ?と思う頃には謎の激しい腹痛に襲われ、騙し騙し鎮痛剤を飲みながら痛みで早朝に目覚めること数日間。最終的に約数年ぶりの38℃越えの高熱にガタガタ震え、辛くて泣くという大人げない経験をしてのけた。

早めに病院を受診しろよという話なのだが、病院嫌いに加え退職後の保険証の手続きを忘れていたことによりずるずると長引かせてしまった。結局後日返還はあるものの10割負担で病院にかかるという珍体験をしてしまった。要らない経験値だ。

病院の先生曰く、腎盂腎炎だねー脇腹いたいでしょ?とのこと。スピーディーな診察と診断、臀部への筋肉注射だった。看護士さんに必死で注射が苦手だとアピールする22歳。それも軽やかにかわしサックリ打たれた。痛くないでしょ!と言われはい!と答えながらも痛みで声を詰まらせる22歳。最終的に保険証ないの!なら検査は省くから!本来であれば入院すべきだよ!今回は帰って薬飲んで様子を見なさい!と帰路につかされた。良い先生であった。

基本的に病院嫌いで本当に辛いときにしか病院へかからないのだけれど、どの病院もこれくらい早ければもう少し気持ちが楽なのになあと思った。病院で待つ時間は死刑宣告された死刑囚のような気持ちになるので嫌なのだ。独特な消毒液の匂いも得意でない。病院勤めだった人間がおかしい話だ。

とにかくそんなこんなで帰って来、薬が切れ熱が上がるたびにぐずぐず泣いている。膀胱炎の症状より高熱が辛い。膀胱炎の薬は副作用でひたすら吐き気が治らなく、毎日高熱にうなされながらえづいている。こういう時こそ実家へ帰れという話なのだが就活ラッシュだったせいで履歴書書きと面接が詰まっている。

調べたところ、腎盂腎炎が治るのに必要な日数は1週間から2週間。

もうどうにでもなあれ。

この調子で受けた会社から内定がきた際は正直内定辞退したい。お前は就活生の何を見ているんだ。

SNSなんて常に誰かに当てた空リプだ。

FacebookしかりTwitterしかりブログしかり常に見ているであろう誰かを気にしている。意識的ならまだいい、無意識的だからいけない。

例えば呟く死にたい、心のうちに置いておけばなんの問題もない。どれだけでも死にたいと思えばいい。しかしそれを人に見える形で発信するのが良くない。

本当に死にたいのであれば誰かの目につき止められることを危惧して表に出さないのだ。人目につく死にたいは死にたくないのだ。誰かの死なないでを待って当てにしている、非常にタチの悪い"死にたい"だ。

このたびディズニーオタクである母と妹に連れられ高校の修学旅行ぶりにディズニーリゾートへ行ってきた。元々、ディズニーが好きではない私をどうにかこちら側へ引きずり込もうとする母の策略であったのだが、まんまと策略通り楽しんでしまった。

ディズニーシー内には"ミラコスタ"なる宿泊施設が存在しており、その施設内にはミッキーマウスが営むレストランというコンセプトの"シェフミッキー"なる様々なキャラクターがウェイトレスをしファンサービスをしてくれるといったレストランがある。そこでまあ私はミッキーにファンサービスを頂いたわけなのだが、素直にイケメンすぎてドキドキしてしまった。有名人と握手したときのような高揚感だった。(いま思えば着ぐるみ相手に非常に面白い。)

思わず、死んでしまう…と呟いた私に、彼は身振り手振りでそれはいけないと説明してみせた。

世界的人気者であるミッキーマウス死ぬ死ぬ詐欺を披露するメンヘラ、何処へ行ってもブレないものである。自分自身にガッカリした。私は今後死にたいと思った時に思い出す顔がミッキーマウスになってしまった。なんという面白人生であろうか。

とりあえず、死ぬ間際に浮かぶ顔がミッキーマウスになってしまった今、死んでも死なずに生き抜こうと思えた。ありがとう、ミッキーマウス。ありがとう、ディズニーリゾート。

自分の不甲斐なさが恨めしい。

自分の弱みを差し出し話し合いをした。
それでもわたしは結果を出せなかった。何もできなかった。現状を打破することはできなかった。むしろ悪化させてしまった。

着地点が見えていなかったからなのか、最初から諦めていたのか、まだどこかで感情が渦巻いたままなのか、それらすべてなのか。

殺すだとか、自殺するだとか。何も出来ないのがわかっていても怯んでしまうのは私が弱いからなのか。

優しいと言われる。でも優しいのではない。どうしたって誰にでも好かれたくなってしまう。結果的に色々差し出してしまう。誰にでも好かれたい人間は誰にも好かれないのだ。

もう、どうしようもないのだ。

私は現世で二度と幸せになれることもなければ、この運命と一生付き合っていかなければならないのだ。

自分の保身だけを考えた行動をした。もう私は死ぬしかないのだ。誰にも迷惑をかけずにと考えれば死ぬことすらできないのだ。生きにくい。

何度も何度も死んでくれたら、と願った。

死んでしまえば永遠に僕のなかに居続けるのに、と言った。どんなに他へうつつを抜かしても、正当に、居続けられるのに。

思ったよりも辛くて辛くて涙と胃痛が治らなくて、私は自分が余計にわからなくなってしまった。何が辛いのであろうか。

こうなったらもう死んだらいいのだ。
私は、私のことを好きでいてくれるひとの中にだけ居続けたい。それがいい。

私は元来我儘な女だし、自分勝手なのだ。
自分さえよければそれでいいし、私は何も間違っていないのだ。いつまでも、私が一番正しいのだ。

私は、私みたいなクソ女とは絶対仲良くしたくないし、結婚もしたくない。
自分が嫌いなくせに自分が可愛い。一生自分と分かり合えない。自分の中に自分がたくさんいる。もう付き合いきれない。

こういったときに、手を差し伸べてくれるひとの手を素直に掴めない。1人で醜くあがいて死ぬのだ。ありがとう。