幸せに生きることができない。

幸せの形は色々あれど、ここでいう幸せは恋愛的な意味での幸せであるのだけれど。

この人と付き合ったらきっと楽しいだろうな、とか、すごく大切にしてくれるだろうな、といった人からの告白は有難い。でも反面自分にそんな人と付き合う資格はないとも思っている。

自分がろくでもないのは自分が一番知っている。そんな私がために1人の素敵な人間の人生を棒にふらせるわけにはいかないと思っている。

私は自分を何者だと思い込んでいるのだろう。

最近、初めて会うひとに可愛い面白いと言われることがある。
私自身自分のことを下の中くらいのブスだと確信しているし、特別話が面白いほうだとも思っていない(知らない人間となんか当たり障りのない会話しかしたくないし、なんなら自分のことなんてなるべく話したくないからだ)。

この人たちは私のどこを見てるのだろうと思う。相手の本質を見抜けない人なのだとガッカリしてしまう。

本当に、私は自分を何者だと思い込んでいるのだろう。

自分のなかのドロドロした面まで見抜いてくれる人間を恋愛的な意味でもそうでなくても好きになりがちだ。しかし、そういう本質を見抜く能力のある人はそれなりに私と同じようなひねた考えを持っていることが少なくない気がしている。

おそらくそういったひねた人間は前述したような、自分が誰かと幸せになるなんて、といった考えが根底にあるような気もしている。

自分と同じ思考をしているのがわかるから、恋愛的に好きだからといって告白をしても何一つ実らないのがわかりきっている。わかりきっているから告白なんて不毛なことをして今の関係も維持できなくなるなら何もしないほうがまだ良い。
完全に負の連鎖が起きている。答えのないエンドレスエイトだ。

僕たちには傷つかずに幸せになる方法なんてどこにもない。

理解してもらおうとなんてしたくない。これ以上醜く足掻きたくない。傷つきたくない人間はいつだっていつまでだってか細いプライドでカッコつけでいるのだ。



おそらく、何も考えずに可愛い面白いと言ってくれる人間と何も考えずに一緒になるのが幸せなのだ。だがそんな幸せが必要なんだろうか。明言はしたくない、反語で表現すれば明確だ。


元々メンヘラ気質だったのが最近顕著で辛い。

どうしても傷つきたくなくて会いたい人に会いたいということすらままならない。

もう22にもなるのにいつまで経っても生きるのが上手くならない。恋愛ばかりが生きることでは無いだろうが、幸せな老後に伴侶は必要だと思っている。

いつまで経っても自分に素直に生きられない。傷つきたくないという根底にある気持ちをどうにか取り除かないといつまで経っても上手く生きられないのではと思う。

メンヘラは誰と一緒になると幸せになれるんだ。

とりあえずメンヘラとSNSの相性は最高なのでSNS断ちをしようと思う。

幸せになるにはまず現状に満足しなければならないよ、と教えられた。幸せは自分が幸せだと思えばそれが幸せなんだと言う。

私は自分がいつまでも幸せになれないことを悟った。

どうしたら良いかばかり考えてはダメ、どうしたいかを考えろと言った。もう何年も忘れていた。自分がどうしたいか、なんて考えることもなかった。

いまからならまだ間に合うだろうか。もうなりふり構わず行動したって駄目なものは駄目だったのだから次を目指すしかない、ともうずっと言っている。

物心ついたときから根本が一切変わっていない。

私はどうしたいのだろうか。

周りがやたらめったらに結婚していく。
それなのに私ときたら家に寄生虫が住み着いてるは、彼氏のかの字もないは、トキメキのとの字もないは、そもそもこの状況で彼氏なんか作れないは、いつ結婚できるのだろうか。まずはさっさと追い返すところから。

最近家でひたすらThe Big Bang Theoryという海外コメディを観ている。ディープなギークの主人公が女の子と良い雰囲気になったときにこなれた動きをしていて、海外ではオタクでも恋愛に積極的なのかと思った。あとめちゃめちゃ優しいめちゃめちゃに甘やかしてくれる彼氏が欲しくなった。つらい。

 

特撮映画があまり好きではない。

 

なんの脈絡もなく怪獣が口から炎を吐くリアリティの無さだったり、拭いきれない子供騙し感がどうしても受け止め切れなかった。どんなに勧められたとしても観ることはないだろうと思っていた。

 

庵野秀明シン・ゴジラを発表するまでは。

 

 

観たことのないゴジラのイメージ、なんとなくやってきて街を壊すゴジラをやっつける。本当にそれくらいしか思っていなかった。

 

庵野秀明シン・ゴジラを発表したとき、エヴァンゲリオン好き(QはNO)としては気にはなるが正直観に行こうとは思ってもいなかった。いいところDVDのレンタルが開始したら観てみよう程度であった。

 

しかしながらネットで出回る好評価の嵐。最初はゴジラ好きのゴジラ好きによる贔屓目の好評価であろうと思っていた。でも何か様子が違うではないか。

 

 

私はふと、以前に観た映画のことを思い出していた。"劇場版ガールズ&パンツァー"。やたらと評価されていたのは4DX版である。ガルパンおじさんからはもちろん、映画好きからやたら好評価を得ていたアニメ映画。ガルパンを観たことなかったけど面白かった!ガルパンは最高!ガルパンはイイゾ〜!方々から上がる高い賞賛に、観に行こうか悩んでいたところ布教活動家のガルパンおじさんから声をかけていただいたので観に行ったのだった。

 

私は、ガルパンだけは絶対に観るまい。どうせ美少女(笑)たちがキャッキャウフフしながらお茶を嗜み途中でこれみよがしにほんのちょっと戦車をパタパタさせるのだろうと思っていたのだった。

 

しかし蓋を開けてみれば、ガルパンアニメを観たことのない人にもわかりやすい前説、からの開始早々砲撃の嵐。途中で美少女(笑)たちが温泉に浸かるもののわかりやすいお色気シーンのひとつもないまま、また戦闘開始。最終的には結末に泣かされみぽりんかっこいい〜!結婚してくれ〜!とのたまう始末。

 

また、評価されていた"4DX"とは、匂い、振動、水飛沫、果てにはシャボン玉等を使い五感で映画を楽しむという日本の最高技術を結集させたような代物で、都会には存在しているのだが、北海道には札幌にしか存在していない。札幌住みを札幌住みたらしめる特権。もちろん4DX版で観た。ありがとう、札幌。

肝心の4DXといえば、あれほど戦車映画と相性の良いシステムもないだろう、といった感想であった。戦車が前進(パンツァーフォー)するたび、座席が戦車特有のキャタピラによる地味な揺れを起こすのである。ミリタリーオタクには堪らないであろう。場所にもよるが砲弾を撃った際に火薬の匂いのする劇場もあるらしい。スゴイ。語彙がないからスゴイとかヤバイとかしか言えない。ヤバイ

 

まあとにかく簡潔に言えば面白かったのだ。 

 

興味のないジャンルの、やたらネットで好評価が騒がれている映画が、面白かったのだ。

 

シン・ゴジラ、観ました。

 

 

あらすじは至って普通のゴジラ(恐らく)。

海から何かしらの因果によって水飛沫があがり、長谷川博己演じる矢口が巨大生物だ!と声を高々にして叫ぶのだが信じてもらえず、なんだかんだと言っているうちに尻尾が見え東京湾から陸に上がられ姿を変えながら街を破壊していくゴジラを矢口と日本の偉いひと総出でやっつける…といったストーリー。

 

まず、思った以上に展開が早かった。巨大生物(笑)と開始早々一切相手にもしてもらえないものだから、しばらくこのまま話が続くのかと思いきやあっという間にゴジラの登場である。

そして思った以上にゴジラがグロテスクであった。陸に上がってきたゴジラ第二形態(蒲田くん)がエラから何やら赤い液体を噴出させながらニュルニュル動く姿はわりとトラウマものである。

しかしわたくし、いちばん最初に第二形態を見たときに、うちのおもちが手を内側にしまって寝ているときにすごく似ている…と何処となく我が家のうさぎを感じてしまってからわりと愛しさの方が勝ってしまった。蒲田くん、愛しい。

そしてシン・ゴジラ、なんと内容がほぼ巨大不明生物特設災害対策本部(巨災対)と呼ばれる即席チームと内閣、自衛隊の会議であった。ゴジラとの対決シーン!というよりは会議と調査の結果こういう対策で戦うぞ!攻撃!ダメだ!次だ!会議!攻撃!良いぞ!次だ!といったノリであった。

しかし、冒頭で述べたとおり特撮好きでない私。会議シーンでの白熱した討論・作戦会議・躊躇・意思決定に至るまでの葛藤等が多いほうが飽きずに済みよかった。ゴジラがビルを次々と破壊し倒すシーンもなかなか爽快で良かったが、前者が圧倒的に面白かった。

 

そしてこの展開、何処となく庵野秀明の代表作、エヴァンゲリオンを彷彿とさせはしないだろうか。

 

現れる謎の巨大生物を駆逐すべく人々が力を結集し、作戦を立てながら攻撃に挑む…まさにエヴァンゲリオンと同じ流れを汲んでいるではないか。

 

観客も特撮を観たくて、というより庵野秀明に惹かれて、といった私のようなミーハーな人間も多かったのではないだろうか。

 

そこを知ってか知らずか、このような編成のシン・ゴジラ庵野秀明さすがである。庵野秀明がこういう映画しか撮れないのではといった部分は丸無視することにする。

 

まあまるでエヴァンゲリオン(笑)映画、こういうの好きな人には堪らないだろうなといった感じであった。ところどころにエヴァネタが散りばめられていたのも私はエヴァンゲリオンオタクなので大変面白かった。

 

あとは東京都完全再現で撮られていたのが評価に繋がったのではと思う。自社のビルが粉砕されていて最高だった!といった旨のツイートを散見した。お前さては良かったのそこだけだろ。

 

まああとは全てにおいて固有名詞が多い!長い!早い!で置き去り感が強かった。一度で全て丸々理解できる人間がいるなら尊敬に値する。私の頭が悪いだけという可能性も捨てきれないがきっとそうではないと信じたい。

 

とりあえず丸々理解できなくても楽しめる映画ということは間違いないとは思う。私のような頭の悪い人にもオススメしたい。爽快感に満ち満ちた映画だった。ストレスが溜まってきたらもう一度観たい。

 

 

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我が家のシン・モチラ(第二形態)。

 

主に我が家のコード類を噛み切るなどの災いをもたらす。私のiPhoneケーブルは3本逝った。3DSの充電ケーブルは2個。何故か我が家の絨毯を喰う。私の完成させたラブライブ1000ピースパズルも糊を塗って乾かしていたところ喰われた。勝手に人の寝床を整えていることもしばしば。最近私のベッドがヨダレで若干湿っている。大変迷惑。大変可愛い。

 

比較してみるとそんなに似ていないので比較画像は差し控える。

 

 

ブログを書き終えて推敲していると、ガルパン映画についてのほうが長くなっていることに気がついた。これで晴れて私もガルパンおじさんである。ガルパンはイイゾ。

 

 

最近引きこもりを拗らせて会う人が限られてきている。そろそろ社会へ復帰しなければならない、とは思いつつも楽なほうに流れて淀んでいる。淀み切った先に何が待っているかはわからないが、良くないものであることは確かなので積極的に外へ出て行こうと思う、つきましては来週から…。

 

 

就職をしたくなさすぎてゴジラが札幌まで来てくれることを願っているのだがそのような気配すらないのでいい加減就活をしようと思う次第。

 

新海誠作品。

初めて観たのは秒速5センチメートルだった。

 

ひとりの男の子が成人になるまでの不毛な恋愛をショートフィルムでひたすら見せられるあの映画。私が高校生の頃だった。

 

… 

 

まだ当時小説だったり漫画は読めど、アニメにはそんなに興味がなかった。今ほど服も好きでなく、何にも興味が湧かなかった。ネットの海に溺れなんとなく音楽を漁るような、まさに無趣味を具現化したような、そんな高校生だった。

 

そこにいきなり新海誠を、秒速5センチメートルを、ぶっ込まれることはさながら酷く自分の価値観を揺さぶられるような、そんな衝撃。

 

鬱エンドの美しさを、儚さを、切なさを、無理やり飲み込まされたようなそんな気がした。ただひたすらに魅了された。

 

 

そこからひたすら新海誠作品をなぞるのだけれど、彼のSF作品にはあまり興味がもてなかったし、言の葉の庭は好きだけれど何よりも秒速5センチメートルが美しすぎた。

 

そしてそこに発表された

"君の名は。"

あらすじを聞くに私の苦手なSF物のようだった。そして奇しくも使われた音楽は私が好きで仕方なかったRADWIMPSのものだった。

 

正直のところRADWIMPSが劇中歌・主題歌なのは嬉しいよりも嫌悪感があった。

今まで控えていたメディア露出を解いて、新海誠SF作品とのタッグ。RADWIMPSファンに過大評価か、RADWIMPSアンチに過小評価かどちらにもかに転ぶ予感しかしなかった。

彼らには何に縛られることなく音楽を作ってほしかった。単なる私の気持ち悪い信心だけど。

 

 

良い意味で裏切られた。そう言うしかない。

君の名は。観ました。

 

どんなクソみたいな映画でも泣ける演技派(笑)の私、映画が終わった後顔面に化粧のケの字も残っていなかった。泣きすぎて過呼吸を起こすかと思った。

 

ストーリーはもう何度も繰り返しテレビで流されているであろうが、まあ掻い摘むと都会の男の子と田舎の女の子が何かしらの理由で中身が入れ替わり惹かれ合うが入れ替わりが突然起きなくなり相手を探して三千里する…

 

1番最初に何かで大体のあらすじを聞いたときに、まあ入れ替わりものね、うん。恋愛漫画ではよくあるよね、わかる。ん?村人が滅びる?何がどうしてそうなるの?入れ替わりどうした?どんなことが起こったらそんな突然壮大なSFになるの?こわい!こわ!観たくない!

不安しかなかった。仕方ないよね、あのあらすじ掻い摘みすぎだったよ。

 

内容は若干御都合主義が否めない部分も多々あったが、SF映画だもん仕方ないよね!で片付けることにした。また主人公の男の子の声優を務めるのが"神木隆之介"くんであり、入れ替わり時の女の子側を演じる際の演技力も大変(色んな意味で)素晴らしかった。

作画もさすが新海誠作品、細かい描写が美しかった。が、秒速5センチメートルが自分の中で神格化しているのか、それには及ばなかったという印象。でも全体を通して美しかった。

またRADWIMPSが劇中歌、というのでバクマン。サカナクションのような扱いなのかと思いきや使われ方が想像と全く違った。どこかで読んだ"RADWIMPSありきの映画"というのはあながち間違いではなかった。批判の色の強い言葉だったが、私はRADWIMPSに重きを置いて作られていると思えば嫌いではなかったし、むしろ良かった。RADWIMPSが嫌いな人から見れば野田洋次郎の顔が浮かんで気持ち悪いだとか、ポエミーな歌詞が気持ち悪いだとか、そういった感想になってしまうのかもしれないけれど、私はどちらも加点要素でしかなかった。信心の勝利だ。

また、エンドは鬱エンドでもハッピーエンドでもイケるような内容ではあった。でも観客層と観客動員数を見ればあのエンドで良かったのではないかな、と思う。

とにかく、私は好きだった。完敗だ。新海誠のストーリーがもちろん良かった。が、とりあえず11/23発売のアルバムCD買います、野田さん。

 

 

蛇足ではあるが、この映画を観る直前に有名なホラーゲーム、"零"の最新シリーズをプレイ・クリアしていたわけなのだが、巫女に関する物語であったがため予備知識があり、おかげですんなりと納得できた部分も多かった。ホラーが苦手な人は"くまみこ"でもギリギリいけると思う。ぜひ読んでほしい。

 

 

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お互いの顔に悪口を書きあうシーン。

初見で私はてっきり中身が入れ替わったあとに書いたものだと思っていたのだが、三葉の髪型からみて中身が三葉のままであることに言われて気づいた。

部屋の中が夕陽でオレンジに染まっているところから見て夕暮れ時(かたわれどき)、彼女たちは制服のまま。晩ご飯も食べていなければお風呂にも入っていないのでは…。瀧くんはいいとして、三葉はそのままの顔で家族のいるリビングに戻るのだろうか。心配になった。

 

 

 最近よく高校生のころや短大生のころの夢をみる。色んな人にたくさんの人に毎日会えたのが懐かしい。社会人になって、(職場が特殊ということもあったが)たくさんの人に会う機会が少なく寂しいのだろうか。まあ今は立派なニートなのだけれども、状況は変わらない。そろそろ心が身体を追い越して都会のイケメン高校生になったりしないものだろうか。

 

 

 

 

昨夜、調子に乗ってコプコプとお酒を飲みすぎ早々に眠り明け方に気持ち悪さで目を醒ます。

健全なニートの健全な朝である。

それでも何とかベッドに入り直し、炎天下放置され氷が溶けきったアイスコーヒーのような、文字通りの悪夢のような悪夢を見た末にチャイムで飛び起きた。クロネコヤマトだった。

 

 …

 

ほんの数日前、調子に乗ってポコポコとお酒を飲みすぎた際にええいままよ!とインターネッツで財布を購入した。

5月の初め、初夏の匂いに巻かれ薄着で仕事へ通い始めた頃に失くしたVivienne Westwood(発音が大事)(ウン万円で購入)(大変お気に入りだった)に代わるものを、と探していたのだった。

 

長い付き合いの方はご存知であろう、わたくし財布を失くすのは初めてでは無い。なんなら財布だけでなくiPhoneも何度も何度も失くしてここまできている。

それでも、何度失くしても、神様に愛されているのか。何度も何度もしっかり手元に帰ってきていたのだった。

失くし手元に戻ってくる度に、もうおまえを二度と離したりしない…と誓うのだが、喉元過ぎれば熱さを忘れる。失ってから気づく尊いもの。それが目一杯の愛、ではなく反省と後悔。

 

 

しかし今回ばかりは違った。どういうわけか帰ってこない。とうとう神に見放されたのか。仕事の都合上、中身が潤っていたからか。財布が身分不相応の高級なものだったからか。とても素敵の素敵だけでできている素敵な財布だったからか。今となってはわからない。

ひとつだけ言えるのは、私が未だに熱さを喉元を過ぎさせることなく抱えているということだ。

 

 

遠回りをしすぎたが、とにかく購入した財布、それが気持ち悪さに蹲る今朝方に届いたのだった。

 

5月の初めから今まで、財布を購入するのを躊躇っていたのは再び失くすことへの恐怖、また前の財布への執念を断ち切れなかったからだ。

 

しかし、引きずっていては前に進めない。

 

いつまで経っても幸せを語り心の中に居続けるものでも、前を向けばその姿は実態では無いのである。

幸せになるには、過去への執念を、幸せ"だった"時間を捨て去り、幸せになるための今を大切にしなければならないのだ。後ろばかり気にしていては目の前の今すら棒にふることになるのだ。

 

新しい財布は以前の財布に比べて半値くらい違う。再び失くすことへの恐怖が捨てきれなかったのだ。でも今はこれでいい。新しい財布を購入することに意味があるのだ。

 

これは過去への執念を断ち切るための一歩だったのだ。

 

 

 

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MARGARET HOWELLのがま口財布。

大変可愛いうえにMARGARET HOWELLのお財布を持っている、という事実に浸ることができる素敵アイテムとなっている。

 

 

オフショルダーのトップスを着ると溢れ出すABAZURE感に襲われていたのだが、その正体が胸にあることに最近気づいた。

 

 

くだをまく

twitterへの鬱イート(笑)が増えつつあるので吐き出し口をもう少し狭めてみる。

 

昔はブログなど何も考えずにペロペロ書いていたものだが、無駄に年をとったのか拗らせたのか。相手に自分の情報を如何にして知られず自分の内側を綴られるか、といった考えしか浮かばず何の為のブログなのか。いや、自分を知ってもらうためで無い事は確かだが。

 

無職は暇なので暇を持て余すことなく使いたい。